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リンクに描く「五輪」 「僕にしかできない技」と笑顔で語る北京のアマチュアスケーター

北京の什刹海屋外スケート場で、アマチュアスケーターの胡長立さん(58)が、右足で円を描き終わると、左足に変えて円を描き、また右足に変えて円を描くという動作を5回続け、氷の上に「五輪」を描き出していた。この「超絶技」には、胡さんの北京2022年冬季オリンピック・パラリンピックを祝福する思いが込められている。北京晩報が報じた。

「たくさんのスケート仲間が『五輪』を描こうと頑張っているけど、僕以外にまだ誰も成功していない」と誇らしげに語る胡さんの「大言壮語」の背景にあるのは長年、スケートを必死に学び続けてきた経験だ。「試行錯誤して練習を重ね、3-4年かけて練習してやっと描けるようになった」と胡さん。

リンクで軽やかで優雅な滑りを披露する胡さんの動きは、まるで若者のようだ。「スケートは楽しむもの」とする胡さんは、「気分が優れない時にスケートをすると悩みが吹っ飛ぶし、気分が良い時にスケートをすると、楽しさが倍増する!」としている。

胡さんがスケートに魅了されるようになったのは7歳の時からといい、「子供の頃は、冬が来るのをずっと楽しみにしていた。冬になって、学校が終わると、カバンを家においてすぐにスケート場に行っていた。昔はスケート靴はぜいたく品で、スケート靴を持っている人は、今で言うと高級車を持っているようなものだった。みんな一足のスケート靴を大切に使っていた」と振り返る。

社会人となった1985年、胡さんは給料を約3ヶ月分貯めて、繁華街の王府井にあるスポーツ用品を取り扱うデパートの利生体育商厦を見て回り、人生で初めて自分のスケート靴を購入して、長年の念願を叶えた。

1986年に、中山公園傍の筒子河でスケートをする胡さん。

北京の冬は短いため、物足りなさを感じていた胡さんだったものの、1990年代になると北京にも室内スケート場ができるようになり、冬でなくても、室内リンクで思う存分滑ることができるようになったという。

「歳月人を待たず」と言われるように、胡さんの古くからのスケート仲間の中には、もう滑れなくなってしまったという人も次第に増えてきている。ある時、玉淵潭にある八一湖スケート場で、胡さんは、92歳の男性が子供に支えられながら来ているのを見たという。その男性は、「スケート靴はもう履けなくなってしまったが、リンクに立ち、昔のことを懐かしみたくてやって来た」と話していた。そんな姿を目にした胡さんはいたく感動し、リンクに立つことができている今を一層大切にするようになったといい、「毎回、とても楽しく滑ることができている」と話した。(編集KN)

「人民網日本語版」2022年1月20日