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中国大陸部の「慰安婦」制度登録被害者はわずか20人足らずに

16:56, August 15, 2022 人民網日本語版

資料写真:2018年8月14日、「慰安婦」記念日に南京利済巷慰安所旧址陳列館を見学し、「無言の訴え」を聞く人々(撮影・泱波)。

今月14日、10回目となる「慰安婦」記念日を迎えた。第二次世界大戦中だった1931年から1945年にかけて、アジアの女性約40万人が旧日本軍の「慰安婦」として連行された。そのうち、約20万人が中国人女性だった。

中には殴打、強姦された女性、子宮が変形してしまった女性、暴行されて亡くなった女性などもおり、残虐行為の甚大な被害を受けた。

中国大陸部では今年、中国侵略日本軍の「慰安婦」被害者である女性4人がこの世を去った。

郴州の女性(本人と遺族の意向で情報非公開)

今年1月30日、湖南省郴州市で暮らしていた中国侵略日本軍の「慰安婦」被害者が亡くなった。享年101歳。

1922年生まれのこの女性は1938年に、旧日本軍の残虐な性的暴行を受けた。女性は慰安所を離れた後、故郷には戻らず、湖南省郴州市で晩年を過ごしていた。

章さん(本人と遺族の意向で情報非公開)

春節(旧正月)の前日だった今年1月31日、湖南省で暮らしていた「慰安婦」被害者の章さんが亡くなった。享年95歳。

李淑珍さん

今年3月11日、「慰安婦」被害者としては最年長だった李淑珍さんが湖南省平江県で亡くなった。享年108歳。

1915年10月に湖南省平江県で生まれた李さんは1944年、平江県に旧日本軍が侵攻した際、3度は村民と共に山に逃げることができたものの、4度目に逃げ遅れて捕まり、山のふもとの旧日本軍の臨時拠点に連行された。そして、旧日本軍から性的暴行を受け、少しでも不満を示すと、殴る蹴るの暴行を受けたという。その後、旧日本軍の拠点に連行され、体が限界になるまで虐待を受けた後、遺棄され、家族に救出された。

雷金二さん

今年6月30日、「慰安婦」被害者の雷金二さんが亡くなった。享年98歳。

1925年7月25日に湖南省華容県で生まれた雷さんは1943年、不幸にも旧日本軍に捕まって拠点に連行され、毎日何度も性的暴行を受けた。その後、家族によって救出された。

当時、旧日本軍が侵攻してきた際、雷さんは5歳の女の子・張二英さんを救ったものの、自分は旧日本軍に捕まってしまった。張さんは、命の恩人である雷さんに非常に感謝しており、心の中で雷さんを「母親」のように敬ってきた。そして、数十年かけて探し出し、2021年11月についに雷さんと再会。当時のことを語り合い、抱き合って涙を流した。

「慰安婦」となり、苦難の日々を送って来た女性たちの心から、その傷が癒えることは一生ないだろう。現時点で、中国大陸部で登録され、生存している「慰安婦」被害者は20人足らずで、歴史の証人は高齢となっている。彼女たちは謝罪の言葉を今でも待っており、彼女たちが流した血と涙を決して忘れてはならない。(編集KN)

「人民網日本語版」2022年8月15日