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鑑真の精神を継承し友好都市の発展を促進する「鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」

11:24, November 23, 2022 人民網日本語版

「鑑真和上は5度の失敗や失明といった幾多の困難を乗り越えて、6度目に、ついに日本への渡海に成功し、戒律を日本に伝え、日本の仏教文化を変え、人々に大きな影響を与えた。日中両国の現在の情勢の下で、日中交流を促進するために、たゆまず努力して困難を克服する鑑真和上の精神は、日本人として真剣に学ぶ価値がある」。9月初めに開催された「2022鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」の中日学生交流結団式で、ある日本人青年は感慨深げにそう語った。

東京上野公園の「不忍池」のほとりで行われた結団式では、中日両国の青年約20人が、除幕したばかりの「鑑真像」の前で、中日友好交流史を振り返ったり、鑑真の足跡を追想したりして、中日友好のために役に立ちたいという願いを強めていた。

結団式に参加したある中国人留学生は取材に対して、「鑑真和上は日本で、仏教の教義だけでなく、唐の時代の文字や絵画、書道、医学、建築といった先進的文化も伝え、中日文化交流、民間交流の先駆者となった。両国の長きにわたる友誼や友好交流の歴史を象徴している」と語った。

また別の中国人留学生は挨拶の中で、「中日両国の青年が人生観や世界観などを率直に語り合い、歴史を教訓とし、調和しながら共存、共生できるアジアの国際秩序をいかに作り上げるかを探求し、鑑真和上を模範として、中日の間に友誼の懸け橋を築くことを願っている」と語った。

2022年9月25日、奈良の唐招提寺を訪問した「2022鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」の中日学生交流団(撮影・呉穎)。

15年で開催12回目となる「鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」 中日青年友好交流を黙々と促進

「鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」は2008年に始まり、今年ですでに12回目を迎えた。特定非営利活動法人(NPO)亜細亜新生交流協会の理事長を務める、亜細亜大学の范雲涛教授によると、鑑真の足跡を辿り、中日両国の青年に友好交流を展開して、相互理解を増進してもらおうと、范教授は早稻田大学の故・木下俊彦教授と2007年5月から同プロジェクトを計画し始め、翌2008年9月から実際にスタートさせた。日本各地の青年55人がフェリー「新鑑真」に乗って大阪を出発し、3日後に上海に到着し、揚州などを訪問した。そして、大明寺といった鑑真ゆかりの遺跡を見学したほか、上海や南京、揚州といった地域で中国人大学生と対面の交流を行った。

2022年9月26日、「2022鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」の総括会議で発言する谷美里さん (撮影・呉穎) 。

第1回「鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」に参加したという谷美里さんは、「中国を実際に訪問して、中国の青年と直接交流し、偏見を抱かずに日中関係について共に考える機会となった」と振り返り、「それが、プロジェクトに参加する理由でもあり、同じ志を持つ友人もできた。それら友人とは今でも、日中友好の懸け橋となることができるよう一緒に頑張っている」と話した。

新型コロナウイルスの影響で、「鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」は2年にわたり中断した。中日国交正常化50周年到来前夜となった9月23日から26日にかけての4日間、中国人青年8人と日本人青年7人がついに再会。東京、大阪、奈良などで活動を展開した。例年のように海を渡って中国に行くことはできないものの、中日両国の青年は活動期間中、中国の南京や揚州、蘇州、西安といった地域の大学生約100人とインターネットで繋がり、中日関係やアジアの未来、鑑真の精神、中日友好などを話題に、活発なディスカッションを行った。また、鑑真が建立した唐招提寺を見学し、山蔭誠悟録事の鑑真と日本の深い縁に関する説明を聞き、鑑真の不屈の精神、中日友好交流史を切り拓いたエピソードを追想した。

中日の懸け橋を築き、友好都市交流史を切り拓く

鑑真は12年の間に5度の渡航失敗と失明を経験し、753年についに日本への渡航に成功し、奈良に唐招提寺を建立。中国を訪問した「遣唐使」らと共に、中日友好の懸け橋を築いた。

この「懸け橋」により、約1300年前、奈良と西安は緊密に結ばれた。現在の奈良にあった「平安京」は当時の日本の都として、唐の首都・長安、現在の西安を模倣して形作られた。その友好の歴史を継承し、発揚すべく、奈良県と陝西省は2011年、友好関係を締結した。また鑑真和上が生まれた揚州市も2010年に奈良市と友好関係を締結した。

「2022鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」の中日学生交流団が奈良を訪問した際、奈良県知事公室国際課の辻祥子課長が、奈良と中国の非常に長い友好関係の歴史や現在展開されている交流活動について紹介し、「鑑真は不屈の精神を示し、失明といった重なる困難を乗り越えて日本に渡海し、仏教の戒律のほか、食料や仏教の経典、刺繍といったたくさんの文化財や技術を伝えた。その時日本に伝わった唐の文化は今でも日本文化に大きな影響を与えて続けている」と語った。

2022年9月25日、奈良の唐招提寺を訪問した「2022鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」の中日学生交流団 (撮影・呉穎)。

辻課長によると、鑑真が切り拓いた中日友好という大事業を継承すべく、奈良県と陝西省は現在、科学技術や文化観光、スポーツ・教育、文化遺産保護、環境保護といった幅広い分野で交流を展開している。長い歴史を誇る奈良県と陝西省は、考古学や文化財保護をめぐる交流を特に重視している。例えば、2014年から、奈良県立橿原考古学研究所は陝西省の西北大学に研究者を6度派遣し、文化財保護の分野の専門技術交流を展開。良好な交流関係を築いてきた。

また奈良県は友好関係を受け継ぐ若い世代の育成も非常に重視している。辻課長は、「2013年から、当県は国際交流や異文化理解に関心を持つ日本の若者が上海や揚州、西安などに行くよう企画してきた。中国の同年代の若者と交流したり、奈良と同じく長い歴史、文化を誇る名所旧跡を見学したりするほか、西安では若者が交流した中国の大学生の家に一晩泊まるよう企画している。そうすることで、日本の若者が中国についてもっと直に理解することができる」と紹介した。

さらに日本の青年は西安で毎回、阿倍仲麻呂の記念碑を見学していることを紹介し、「阿倍仲麻呂を代表とする『遣唐使』が、唐の先進的文化や制度を日本に伝え、鑑真と同じく、日中友好交流の懸け橋を築く先駆者となった。記念碑を見学するというのは、日本の若者が中国を実感する文化体験となっている」と話した。

「山川域を異にすれども、風月天を同じうす」 友好の未来の重責を担う中日の青年

2022年9月26日、「2022鑑真和上 中日学生交流プロジェクト」の総括会議の様子(撮影・呉穎)。

4日間の訪問や交流を通して、中日両国の青年は多くの収穫を手にしていた。鑑真の精神を語り合う総括会議で、中日学生交流団のメンバーは、「国や文化は違っても、対話や話し合いを通して、相手のことを深く理解することができる。今回の『鑑真和上 中日学生交流プロジェクト』を通して、中国と日本の人と人の交流が非常に重要であることをしみじみと感じた」や「今回のプロジェクトを通して、両国の青年は中日友好に対する理解をもっと深める必要があると感じた。今後、青年という視点から中日関係に注目し、じっくりと観察したい」、「鑑真和上の失敗を恐れない精神が自分を鼓舞した。今後、中日友好関係のさらなる発展のために、たゆまず努力したい」といった感想を語っていた。

中日友好は非常に長い歴史を誇る。一般社団法人日中協会の瀬野清水理事長は、中日両国の青年に鑑真の日本への渡航の歴史を紹介する際、「約1300年前、日本の皇族の長屋王が遣唐使として僧の栄叡や普照を中国に派遣したほか、伝戒のために唐の高僧を日本に招いた。長屋王は、唐の僧侶に『袈裟』を1千枚贈った。その袈裟には、『山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁』という漢詩が刺繍され、中国と友好交流を願う思いが表されていた。栄叡や普照は鑑真に会うために揚州の大明寺を訪問した。その時、鑑真は54歳と当時ではすでに高齢だったものの、長屋王が贈った『袈裟』に刺繍されていた漢詩に心を動かされて、自ら日本へ渡航することにした。そして、12年後に、度重なる困難を乗り越えて日本を訪問した」という逸話を紹介し、「鑑真和上はそのような不屈の精神を示して、これまで1300年以上続いている日中両国の民間友好関係を切り拓いた。鑑真和上は仏教だけでなく、建築技術や飲食文化、印刷技術なども伝え、日本の発展に寄与した。若い世代が鑑真和上の精神を受け継ぎ、日中友好の火を燃やし続け、大いに発揚することを願っている」と強調した。(編集KN)

「人民網日本語版」2022年11月9日