「河南の人よりコテコテの河南方言を話す」ということで、90後(1990年代生まれ)のドイツ人青年であるヨル・ウォーカーさんが話題を集めている。現在、河南中医薬大学の大学院の修士課程で学ぶ彼は、鍼灸や推拿、カッピングなどの中国伝統療法はもとより、中国武術や書道など、中国文化のいろいろなジャンルを極めている。中央テレビニュースが伝えた。
彼と中国の縁はどのようにして始まったのか。そしてどうやって河南方言を極めたのだろうか。
特に河南方言を勉強していないのに「河南人のフリができる」ウォーカーさん
ウォーカーさんは「無名」という中国語名を使用しているが、その名前の由来について、「中国に来たとき、出入国の書類に中国語の名前を記入する欄があって、自分の薬指(中国語は「無名指」)を見ながら、思いきって『無名』と書いた。その後、人は生まれた時には名前がないので、これこそすべての人にとって最も本質的な状態だと思った」という。
ウォーカーさんは小さい頃から中国の伝統文化に興味を抱き、中医学を知り、ますます中国に惹きつけられるようになったという。「中医学は包括的な生命科学であり、全体から問題を見ることを大切にしており、一種の哲学思想を代表している」と ウォーカーさん。
ウォーカーさんは20歳の時に中国に来て勉強することを決意し、いろいろ調べた結果、最終的に目的地を河南省に定めた。ここは中国文化の重要な発祥地の1つであり、崇拝する哲学者の老子も「医聖」の張仲景なども、この土地に暮らしていたことがある。その後、彼は河南中医薬大学に無事合格を果たした。
そして周りに河南方言を話す人が多かったため、ウォーカーさんも知らず知らずのうちに河南方言に染まっていった。そして時には普通話(標準語)と河南方言の区別がわからなくなることもあるほどだという。中国に滞在した8年間で、多くの専門知識を身につけただけでなく、「河南方言のレベル」もますます向上していった。
ウォーカーさんは、「『好(よい)』は『中』と言うし、『昨天(昨日)』は『夜隔』になる。僕の標準語は訛っていて、河南方言だとたくさんの人に言われたが、自分では聞いていて心地良いと思う。ある時タクシーに乗ったら、運転手が自分の話す『コテコテ』の河南方言を聞いて、西洋人に『仮装』した河南の若者だと勘違いした。挙句の果てには、髪の毛を脱色するのは体に悪くないよとアドバイスまでしてくれて、パスポートを見せるまで、自分が本当に『外国人』だと信じてもらえなかった」としている。
中国文化がウォーカーさんに与えた影響とは?
ウォーカーさんの中国文化への思いは中医学のジャンルだけにとどまらない。小さい頃はボクシングをしていたウォーカーさんは、縁があってドイツを遊歴していた少林寺の先生と知り合い、中国武術を学び始めた。中国に来てからは、書道の練習も始めた。
また、彼はグルメに対しても興味が尽きない。ウォーカーさんによると、河南のグルメは南北各地の味が融合しており、スパイシーなスープの胡辣湯(フーラータン)や幅広麺の燴麺、スープ入り肉まんの灌湯包など各種揃っていとし、授業の合間には、料理の勉強もしているのだという。
ウォーカーさんは家族と一緒に中国に来て、中国の風土や人情に触れ、中国文化の幅広さと奥深さを体験したことがある。また、学んだ中国医学の知識で家族の体の不調を和らげたこともあるという。「時々家に帰って家族みんなの体の様子を見ている。姉、祖母、母には、いつも鍼灸をしたり、中医薬を飲んでもらったりしているが、彼女たちはそれらがもたらす効果をとても不思議に感じている」という。
ウォーカーさんは中国文化から多大な影響を受けたと言い、「自分の考え方や生活が大きく変わった。以前は気持ちの浮き沈みがあったが、中国文化を学んでから、より包摂的になり、物事により全面的に対処できるようになり、すっかり穏やかな性格になった」と振り返った。
ウォーカーさんは昨年から不定期で、自分の見聞きしたことをショート動画にまとめて配信しており、ネットユーザーの間では「最も外国人っぽい河南人」と呼ばれている。来年、大学院を修了するウォーカーさんは、「これからどこで働くにしても、自分が選んだ中医学を続けていく。自分の力は小さいが、より多くの人に中国文化の英知を知ってもらいたい」と展望を語った。(編集KS)
「人民網日本語版」2023年10月25日