現在、日本の衆議院副議長を務める海江田万里氏は、かつて日本の立憲民主党の税制調査会長、民主党の代表、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣などの要職を歴任した。また一方で、海江田氏は中日友好を熱望する友好人士として、中国語に堪能であるだけでなく、中国の古詩や書道にも精通している。人民網が伝えた。
名前に含まれた意味 「長城に至らざれば好漢にあらず」
海江田万里氏の名前を見ると、中国に深い縁があることがうかがえる。海江田氏は「万里」という名前について、「私の父親が中国の『万里の長城』にちなんでつけた名前」と話す。海江田氏の父親は新聞記者で、かつて台湾地区に駐在していたことがあり、中国の大陸部にも何度も足を運んで、中国の雄大な景色に心を打たれ、自分の息子に「万里」と名付けたという。小学生になった海江田氏は自分の名前が「長城に至らざれば好漢にあらず」という言葉にちなんでつけられたことを知り、幼くして中国に強い関心を抱くようになった。中学校の漢文(中国語の文語文)の授業では、多くの同級生は関心がなく居眠りしていたが、海江田氏はいつも興味津々で熱心に聞き入っていたという。
海江田氏が中国語に初めて触れたのは1968年のことだった。大学に入学して、第三外国語に中国語を選択した。しかし、海江田氏は1975年に国会議員の秘書として初めて中国を訪れた際、自分の中国語は全く役に立たないと痛感し、「中国研究所(日本の中国専門の研究機関)」が開設した「中国語研修学校」に入って中国語を2年間勉強したのだという。
文学に専念 書物を出版して独自の観点を披露
海江田家の持っていた雰囲気と海江田氏自身の中国への関心が、中国語を学ぶきっかけになっただけでなく、その後の中国の古典文学に対する踏み込んだ研究と深い造詣につながった。海江田氏は、「中国の古典などの本がたくさん家にあった。『水滸伝』や『三国志』などを子供の頃から読んでいたし、吉川英治が書いた『新・水滸伝』を胸を躍らせて読んだ」と回想する。
海江田氏は中国文学の研究を続けるうち、中国の歴史と文化への理解をより一層深めることになった。2023年9月には、「陶淵明その詩と人生:混迷の時代を生き抜く智慧」を出版した。題材に陶淵明を選んだのはなぜかと聞かれた海江田氏は、「一般の理解では、陶淵明は田園詩人とか隠棲した人に見られるが、実は陶淵明は時代に対する発言者だった。一般の見方では世捨て人のような、田園生活だけに暮れていたように思われるので、それはちょっと違うと思い、この本を書いた」と答えている。
次の書籍のテーマについて海江田氏は、「やっぱり李白かなと思う。杜甫と李白は、正直に言って詩は杜甫の方が深いものがあるが、人生の面白さで言うと李白の方が面白い。だから、李白かなと思って、少しずつ伝記を読んでいる」と明かす。
訪中は100回以上 中国の日進月歩の発展をその目で実感
海江田氏は1975年に初めて中日友好協会に招かれた中国を訪れた時の様子を振り返って、「廖承志氏が会長、孫平化氏が秘書長の時だった。日本がこれから中国と協力して、お互い経済発展するようなチャンスがいくらでもあると思った」と話す。
その後、海江田氏は中国の「常連客」になり、訪中回数は累計100回を超えた。たびたびの訪中の中でも、最も深い印象を受けたのは2009年と2019年の訪中だったという。新中国成立60周年と70周年にあたるこの2つの年に、海江田氏は日本の国会議員として中国を訪れ、天安門広場で祝賀パレードを見学した。「私の生まれた年が1949年で、新中国の建国の年と同じなので、子供の頃からずっと関心を持っていた中国がどうなっているかをこの目で見てみたいと思った。中国と同い年の自分に、建国記念の一大イベントをその場で2回も見られるチャンスが巡ってきた。この日中友好の2つの記憶はいつまでも忘れられないものだ」と海江田氏は話す。
海江田氏は、「1975年の時はいろいろなお土産を中国に持って行って、中国の人たちはすごく喜んでくれた。でも、2009年と2019年は持っていくものがなくて、むしろ中国に行っていろんな買い物をしてきたような状況だった。そういう意味では変化が非常に大きい」と振り返った。
青年交流を重ねる 小異を残して大同につく青少年交流がとりわけ重要
国会議員としての仕事のほか、海江田氏は日中国際交流協会の会長も務めている。海江田氏によると、同協会の活動は主に2つあり、これまでは植林に取り組んでいたが、今は一番大事なのはやはり人的交流、特に青少年交流だという。中国の教育部(省)が協力し、日本の高校生が中国を訪問して学んだり旅行したりする活動を定期的に企画・実施し、参加した生徒には自分の見聞きしたことを作文にまとめてもらっている。作文の中で、日本の生徒は自分の気づいた中日間のさまざまな相違点を書き留めている。海江田氏は「それを読むとすごく面白い。日本は箸を横に置くが、中国の人は箸を縦に置く。そういうことから始まって、『非常に面白い』、『興味深い』、『なるほど』と思うような違いを、若い人たちが中国に行って見つけてきてもらいたい。違いがあるけれどもお互い仲良くしてくべきだということを発見できると、全く違いがなくて仲が良いということよりも、少し息の長い交流ができると思う」と話す。そして若い世代の交流について、「両国の若者の間の『小異を残して大同につく』双方向の交流がとりわけ重要だ。機会があれば、日本の高校生と一緒に再び中国を訪れたい」と話した。(編集KS)
「人民網日本語版」2023年12月28日